ときどき一般向けの発表とか展示をする機会というのがあって、
そういうときに、どうしたらうまく伝わるかを考えてみた。
後輩たちがよくやってしまう失敗は、なんか難しいことを言い過ぎたりとか、
専門用語が出てきちゃって、ぜんぜんわかってもらえない、という、
きわめてありがちなパターン。で、
「専門用語使わずに自分の研究についてしゃべれるようになれ!」
という指令を出したわけですが、
よく考えるとこれって、けっこう深遠なテーマだったりするわけで。
僕らは計算機作ってるわけで、計算機は速いのが圧倒的に正義なわけですが、
世の中の人にとってはぜんぜんそうじゃないわけです。
パソコンが超高速なネットワークでつながったり、
回路構成が毎クロック変更できたり、
ボード1枚で100台のPCに匹敵する性能が出たり、
そんなのにはぜんぜん興味がない。というか、そもそもそれが実感できない。
だから、工学の人は、自分たちの研究が日常生活にどう役に立つのか、
社会とどう関わってくるのか、を、ちゃんと説明できなきゃいけないのです。
(理学はまた別だと思う。数学なんか、すぐには役に立たないしね)
で、ここまでは、発表の話。
んで、そういいながら考えたのだけれど、
結局、どう説明するか、というのは、
どういう動機で研究をはじめ、どういう目標で研究を続けるか、
ということに、非常に深く関わっているんじゃないだろうか。
科学技術というのは、往々にして暴走することがあって、
極端な例として引き合いに出されるのが核兵器。
もちろん、軍事技術の開発が、民生用品にも大きく貢献している、
というのは紛れもない事実であって、このあたりの議論については、
本題から外れるので書かないけれど、いずれにしても、
よい目的がなければ、よい成果は出せない、というのは間違いない。
だいたい、俺は、速い計算機作るために一生を捧げるなんて、
そんなの御免だね。速い自転車ならいいかもしれない、と一瞬思ったが、
それは、要するに俺が速い自転車を心から求めているし、
俺の周りにはそれを必要としている奴らが山ほど居るからだ。
モノのために自分の一生は捧げられないが、誰かのためならできる、かもしれない。
つまり、何がいいたいかっていうと、
何かを作るために一生、あるいは人生の一時期を捧げるのは、
少なくとも俺の価値観では非常にツマラナイことだが、
それで、自分の大切な人が幸せになってくれるなら、
ツマラナイことが一気に超素敵な仕事に生まれ変わる、ってこと。
いい仕事は、いいモチベーションから。
いや、ノロケ話じゃないですよ?
「技術者人生を考える」への1件のフィードバック
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ねこを飼えるようになりたいねー。