中央構造線サイクリング大会、もしくは僕と南信州 (その 0.2)

そんな訳で、ちょくちょく南信州に通うようになった高校時代。
まだ夜行列車もたくさん走っていた時代で、東海道線の大垣行きや、中央線の急行「アルプス」、それから「ちくま」に、ずいぶんお世話になった。いつも予定なんかなかったけれど、夜、ふらっと駅に行けばいつでも信州へ行く列車に乗ることができて、それに乗ればいつでも信州へ行ける、というのは、なんだか不思議な安心感だった、と思う。
疲れた時に、新宿駅西口から出て行く、駒ヶ根ゆきや飯田ゆきの高速バスを見て、ああ、まだあれには乗らずに、もうすこし頑張ろう、とか思える、というのは、なんだか不思議な感覚だけれど、今でもそれが僕を支えてくれているのは紛れもない事実。別に自分の実家がある訳でもなんでもないけれど、ただ、そこに帰るところがある、というのは、ものすごい力になるんだな、と思う。
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僕はまだ観たことがないのだけれど、「駅 STATION」という映画がある。それを撮った降旗康男監督が、もう廃刊になってしまったJTBの「旅」という雑誌に書いておられた言葉を、僕は一生忘れないと思う。「駅は、ジャンプ台なんです。いつもそこにあって、都会へ飛び出していくことができる」と。ジャンプ台であると同時に、いつでもそこに戻ることができる、という、チェックポイントでもあって、それはとても大切な心の支えなんじゃないだろうか。
それで、
年に6回程南信州に通い、
毎回5本くらいのフィルムを消費して、
僕は何かを探していたのだ、と思う。
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写真を真剣に撮り始めた理由というのはおそらく、
ここが自分の故郷なのだ、ということを認識したからで、
汽車旅が好きだとかそういうのは、
きっと表向きの理由だったんだろうな、と思う。
僕は死ぬ迄此処にいる、と、叫びたかった。たぶん。
それで、
カメラを持って、列車を追いかけて線路脇を歩き続ける、
という日々に別れを告げて、
カメラを持って、上伊那をひたすら歩く、
ということを、ずっと続けよう、と思った、そんな、高校生最後の冬。
あ、写真は、夏だけれど。
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そうして僕は、国道153号や、県道18号を歩きはじめた。

中央構造線サイクリング大会、もしくは僕と南信州 (その 0.1)

せっかくなので、なれそめから書くことにしよう。
たぶん今まで、ちゃんと書いたことないしね。
そんなわけで、今回は自転車成分はゼロ。おそらく次回も (笑)
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1994 年の夏、僕は初めて飯田線に乗った。たしか、7月の21日だ。
JR の時刻表を開くとそこは、なんとなくミステリーゾーンで、不思議なほどスペースが空いているのだ。というのは、端っこの豊橋-豊川だけたくさん走っていて、真ん中のあたりは1時間から3時間くらい列車の間隔が空いているから、なのだけれど。
そのときは時間の都合でちょっと乗っただけで、岡谷から伊那本郷 (飯島町) まで行って、引き返した。でも、なんとなく、ここはいいところだな、と思って、また来ることにした。青春18きっぷを片手に、次に訪れたのは、ちょうど1ヶ月後。
朝早く岡谷駅について、7時半の列車に乗る。まわりじゅう同じ制服で、ぎょっとしたが、ラッシュの時間帯でも30分に一本だから、学校に行くには、同じ列車に乗るしかないのだ。高校生がみんな降りてしまうと車内はがらんとして、そして、南アルプスと中央アルプスを両側にみながら、のんびり走る、その静けさがとても印象的だった。
天竜峡から、信州最南端の中井侍まで乗って、天龍川の美しさに息を呑み、そしてまた引き返す。車内で出会った、南アルプス縦走から下山したおじさんとの話やら何やらと、突然の夕立と、雨上がりの風景の美しさにふと降りてみた、田切駅。
田切駅のそばには当時、小松屋さんという小さな雑貨屋さんがあって、そこのご夫婦に迎えられて、南信州、という土地の温かさに触れた、そんな気がした。
ふれあいのかけらが、人生を変えてゆく、という唄があるけれど、
そんな、高校時代の思い出の1ページ。
1ページだけじゃ、到底収まらないけれど、それはまた次回。

中央構造線サイクリング大会 (その0)

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行ってきた。
最後の最後で、水筒カラなのに、自分のいた集団が完全にレースモードに入ったりして、若干死にそうでしたが、無事に東京につきました。
一緒に走ってくださったみなさま、スタッフのみなさま、どうもありがとうございました。
詳細はそのうちまた…

パリへ!

俺が行く訳じゃないですが。
TdF は2度目の個人タイムトライアルが終わり、あと3ステージ。
別府・新城のタイムアウトはもうないでしょう。
あー。
パリ行けるのかー。
すごいね。
大騒ぎになるんだろうなー。
来月のサイスポは、額に入れて飾ろうかしらん。
そして僕は、いよいよ中央構造線サイクリング大会に行って参ります。
雨? むー。

Aux Champs-Élysées

今日はいつものトレーニングコース (だいたい 30km) を 31.2km/h で走った。
折り返しのところで、携帯ポンプが使いこなせてない感じの男の子がいて、手伝ってあげた。大学の自転車部らしいけど、競技志向ではないみたいで、わりとのんびりしてた。僕より先に出発していったので、俺がチャリの乗り方を教えてやるぜ! という感じで、後ろからズバーっと抜いてみた。40km/h ちょっとくらいだから、そんなに速くない。なにしろ、往路でかなり脚使っちゃってるので。
しかし、その先に一人、同じグループなのかどうなのかわからないが、普通の (体育の授業で着るような) ジャージの女の子がクロスバイクに乗って、えらいスピードで走っておる。僕は 35km/h くらいで走っており、当然抜くのだが、なかなか差が開かず、5km くらい走って 100m か 200m くらいの差だったような感じ。ありゃ、もしかしたら大物になるね。
かなり調子が上がっている感じなので、このまま土日を迎えたい。天気予報はあんまりいい感じじゃないけどね…
そんなわけで、自分の方がチャリに集中しなければいけないので、
ツール観戦は (たぶん) 今日でおしまい。
Hushovd の登りが、すごかった。緑のジャージ着て山岳をいくつも一位通過していくっていうのは、なんか、ものすごいものを見てしまった気がする。すげえぜ!
別府選手は一時期遅れたものの、最後は集団前方に戻ってた。強い。
これで、別府・新城はふたりともパリまで行けるんじゃないかしら?
ああ、なんか、すごいなー。

Shake down

ホイールを本番用の Eurus に交換して、ブレーキのセンター出しをして、多摩川で試走。
30km を平均 29.2km で走った。
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自転車の調子は絶好調で、若干注油をすればそのまま試合に持って行って OK な仕上がり。加速や巡航性は、何もパーツが変わっていないので変化はないが、ブレーキの効きはかなり改善しており、下りでも安心して走れそうだ。
しかし、しばらくサボっていた身体のほうがぼろぼろで、復路は向かい風で 28km/h くらいまで落ちたりして、かなりしんどかった。
減量のほうは順調で、1.5kg か 2kg くらい減った感じ。
残り一週間をきっているので、食事制限はやめて、トレーニングに注力しようと思う。

Bike maintenance: Day 4

午後からペダルとブレーキを組み付け、ワイヤ類の調整をして (と書くと簡単そうだが、ワイヤの総交換というのはやっぱり大変で、調整にそれなりの時間がかかる)、夕方には乗れる状態になった。
今回のメンテでは、ブレーキシューを R55C から R55C3 に変更してみた。R55C は、7700 Dura の頃からのブレーキシューで、R55C3 は 7900 Dura のそれなわけだけど、新しいということもあってか、試しに走ってみたら強烈な効きだった。これは、峠の下りでは大きな武器になるね。あと、雨でもよく効くらしい。
もうひとつの大きな変更点は、駆動系の潤滑油を トリフロー に変更してみたこと。ずっとラスペネを使っていて、非常に満足していたんだけど、トリフローだとチェーンが汚れにくいかも、と思ったので、しばらく試してみることにする。
車輪のハブのメンテナンスは、明日にしよう…

Bike maintenance: Day 3

起動系の部品を取り付け、チェーンをつないだ。ブレーキとワイヤ類はまだ。
サドルを 3mm 上げて、ハンドルを 2mm 落としてみた。これくらいが適正だと思うが、乗ってみないとわからんね。
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土曜には走れる状態になる… はず。
それにしても、こういう作業台があると圧倒的に便利だね。もっと早く買えばよかった。