ゼンマイ教

銀座で LASIK の術前検診を受けたときに、腕時計を修理に出したのが、先週帰ってきた。祖父が使っていた、Omega Seamaster で、巻き芯が折れてリュウズが取れちゃってたのを直して、さびていた文字盤も再生してくれた。時計屋さんの web に写真を載せていただいたのだが、まあなんというか、動かなかった時計が日差 2 秒 (!) で動くようになるのだから、これは仁術だ。日差2秒なんて、秒針の拘束機構がない時計ならどうせ秒のところは合わせられないのであり、まったく気にならないといっても差し支えない。
普段使っている腕時計は、ALBA のソーラーの奴であり、こいつはたった1万3千円なのにもかかわらず、クォーツの驚異的な精度と、ネジを巻いたり電池を替えたりする必要もないという、すごい奴で、買ったのは大学3年のときだから、もう8年くらい使っている。たまに日付 (31日ない月もあるわけで) や時間を合わせてやらないといけないけどね。で、Seamaster が修理終わったとたんにこいつをぶつけてしまい、風防のガラスが破損して現在修理中。ガラスの破片がカレンダー窓から中に入ってしまうと OH が必要になるかもしれないそうだ。なるほどね。
そういうわけで、時計は 1960 年代のゼンマイ式であり、写真を撮るのも同じ年代の Nikon F であり、普段手を触れる機械がみんなゼンマイで動くというのは愉快だ。だって、電池いらないんだぜ!エコロジーとかいうなら、まずこういうのを追求するべきでしょう。コンピュータはさすがにゼンマイじゃ動かないけどな。
60年代のテクノロジっていうのはいまでも充分現役なのであり、いま僕らが使っている、あるいは作っている電子機器っていうのは、そんな寿命があるものかしらん、とも思う。工業製品ってのは、本来そういうものじゃないといけないと思うんだけどね。

コメントを残す