中央構造線サイクリング大会、もしくは僕と南信州 (その 0.2)

そんな訳で、ちょくちょく南信州に通うようになった高校時代。
まだ夜行列車もたくさん走っていた時代で、東海道線の大垣行きや、中央線の急行「アルプス」、それから「ちくま」に、ずいぶんお世話になった。いつも予定なんかなかったけれど、夜、ふらっと駅に行けばいつでも信州へ行く列車に乗ることができて、それに乗ればいつでも信州へ行ける、というのは、なんだか不思議な安心感だった、と思う。
疲れた時に、新宿駅西口から出て行く、駒ヶ根ゆきや飯田ゆきの高速バスを見て、ああ、まだあれには乗らずに、もうすこし頑張ろう、とか思える、というのは、なんだか不思議な感覚だけれど、今でもそれが僕を支えてくれているのは紛れもない事実。別に自分の実家がある訳でもなんでもないけれど、ただ、そこに帰るところがある、というのは、ものすごい力になるんだな、と思う。
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僕はまだ観たことがないのだけれど、「駅 STATION」という映画がある。それを撮った降旗康男監督が、もう廃刊になってしまったJTBの「旅」という雑誌に書いておられた言葉を、僕は一生忘れないと思う。「駅は、ジャンプ台なんです。いつもそこにあって、都会へ飛び出していくことができる」と。ジャンプ台であると同時に、いつでもそこに戻ることができる、という、チェックポイントでもあって、それはとても大切な心の支えなんじゃないだろうか。
それで、
年に6回程南信州に通い、
毎回5本くらいのフィルムを消費して、
僕は何かを探していたのだ、と思う。
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写真を真剣に撮り始めた理由というのはおそらく、
ここが自分の故郷なのだ、ということを認識したからで、
汽車旅が好きだとかそういうのは、
きっと表向きの理由だったんだろうな、と思う。
僕は死ぬ迄此処にいる、と、叫びたかった。たぶん。
それで、
カメラを持って、列車を追いかけて線路脇を歩き続ける、
という日々に別れを告げて、
カメラを持って、上伊那をひたすら歩く、
ということを、ずっと続けよう、と思った、そんな、高校生最後の冬。
あ、写真は、夏だけれど。
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そうして僕は、国道153号や、県道18号を歩きはじめた。

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