ツール・ド・八ヶ岳ですが、
なんか、八ヶ岳南麓から戻ってきた両親によると、
ものすごい雪で自転車なんてムリムリ!
とのことなので、DNS 決定しました。
明日は寒いし、日曜は気温が上がるとはいえ、
路面の状態はよくなさそうですし。
あーあ。
せっかく休みにしたのになー。
ま、いつも通り土日出勤するか。
投稿者: yasu
チャリ整備
久々にホイールのメンテナンス。振れはないので、ハブだけ。
フロントとリアのハブを分解してグリス入れ直すのに2時間くらいかな。フリーホイールは分解できないと思っていたんだけど、ふとしたきっかけでばらけてしまったので、ついでにやった。Campagnolo のハブのメンテナンスのしやすさはすごくて、なにしろ、ハブスパナとかいらないんだ。六角レンチだけで完全に分解できる。
それで、Eurus は 10,000km 近く走っているのだけれど、ボールレースの状態は非常によくて、まだまだ走れる感じだった。よかった。
タイヤはいつもの Michelin Pro 3 Race で、チューブを Vittoria Evo 55g というのにしてみた。軽いの、どうかしら… まあ、ブチルチューブなので、パンクは大丈夫だと思うけれど、ちょっと抜けが早いかもね。リムフラップはずっとコットンのを使っていたのだけれど、4年ぶりくらいに、パナのやつ。
実は機材についてはかなり保守的なので、チューブを違うのにするのは5年ぶりくらいかも。
今日から乗ってみる。
年末年始休業のお知らせ
去年の8月末から土日も含めて、(こないだ日帰りで信州行っちゃったり、ちょこちょこ仕事で出かけた以外は) ほぼノンストップで働いてきたのですが、肉体的にも精神的にもかなりヤバい感じになってきたので、ちょこっとお休みしようと思います。
なんつうか、7 days a week で働くのって、いろいろな面でよくないと思うのよね。最近は、ストレスで食べ過ぎなのが顕著。もはやレーサーとは思えない状況です (といっても、ま、多摩川あたりでは無敵ですが)。
そんなわけで、金曜の午前中の講義が終わってから、火曜の午後の講義が始まるまでは音信不通になる予定。ま、携帯電話くらいは持っていきますし、天気がよければ「いつもの」トレーニングコースを走っている予定なので、知っている人は会えるでしょう。
金曜まで頑張って働こう…
知名ぐるり
泊まっていたのは宗岡旅館。海の目の前で、すぐそばにはコンテナが積んである。
コンテナは殺風景だけど、海はきれい。
知名の街はそれほど大きくなく、海に向かって下り坂になっており、どこからでも海が見える感じで、非常に気持ちがいい。
ネコもいます。
あと、普通にガジュマルが生えていたり、道ばたの木に謎の実がなっていたりする。
知名で最初に入ったお店は、「和風Cafe てふてふ」でした。ごはんおいしかった。お店のお姉さんは野菜ソムリエだそうです。
ここに行く前に通りかかった「おうちCafe」は、お休みだった。ざんねん。
実装しなきゃいけないものが山積みだったので、机があってちゃんと座れるところ、と思って、町立図書館へ。
2階の閲覧室からは海が見える。すっごい贅沢。ここに研究室作りたい・・・
小さな図書館だが、奄美あたりの土地に関する資料は充実しており、奄美群島が昭和28年に日本復帰を果たすにあたって政府に出された要望書なども収蔵されている。奄美群島のさまざまな統計や現状などが詳細に載せられており、非常に興味深かった。当時、奄美大島の、名瀬には琉球大の分校があったそうだ。
図書館の前にあった看板。
祖先「崇拝」を堂々と教育委員会が奨励していいのかな・・・・
坂道と海。素敵すぎる景色。
吞んだら乗るな、乗るなら吞むな的な何か。
壁にルパン三世が描かれてるのは宗岡弁当。ここ、おいしいの・・・すごく。
カツ丼を買って、防波堤の上でいただきました。しあわせすぎ。
防波堤の上でデバッグもした。通りかかった人が驚いてた(笑)。そして、MacBook さびるな・・・
Typhoon というカフェにもいってみた。日曜と木曜がお休み。営業は 18:30 までで、わりとはやくしまっちゃう。カフェ兼雑貨屋さん。
焼きカレーとマンゴージュース。
コーヒーとレアチーズケーキ (同じ日に頼んだんじゃないよ!)。
お店の中スナップ。
これはあれですね、職場の向かいのCafe Parada に匹敵する大ヒットです。またこなきゃ・・・
沖永良部ぐるり、に続く予定。
代替医療
長妻厚生労働大臣、予算委員会でホメオパシーについて(も)語る? という記事を読んであまりにショックだったので、ずっと気になっていた、ホメオパシーとかそういう、いわゆる代替療法に関する本を買ってみた。
これ。
非常に明確に書かれており、わかりやすいし、筆者らのアプローチも非常に好感が持てる。
非常に興味深いのは、いわゆる、わしらが日頃お世話になっている西洋医学が、現在のようにちゃんと二重盲検法とかをつかった臨床試験を導入して、患者の症状を改善するのにもっとも効果的な方法、というものを臨床試験をもとに科学的、統計的に追求するようになったのはつい最近の100年くらいのことである、ということ。それまでは欧米の医学だって、かなり怪しいところがあったわけで。
もうひとつは、「医学においては薬の作用機序がどうの、ということよりも、患者をリスクの少なく、かつ効果の高い方法で治すことが大事」という点に非常に共感した。薬の作用機序とかそういうのを明らかにするのは、わしらの仕事であって、お医者さんの仕事ではないのだよね。僕は、そのあたりが非常に世間に誤解されている気がしていて、こういう仕組みで細胞のここを標的にして効く薬を作りましょう、というアプローチで薬を作る、というのは、今までなされてきたことではないのだ。従来はそれがほぼ不可能で、最近は分子生物学のシンポでそれがいけるかも、という感じになってきてはいますけれども、基本的には、この物質を身体にいれたらこの病気に効くかも!というのは、乱暴な言い方をすれば、最初は当てずっぽうなのであり、いろいろな方法でターゲットを絞っていって薬になるわけです。
薬がなんで高いか、というと、新しい物質を薬として見つけて、さらに安全性やら何やらを担保するためにさまざまな実験を行う、そこに膨大な費用がかかるからなのだ。
結局のところ何がいいたいかというと、なんというか、西洋医学も漢方も、その他のさまざまな民間療法も、はじめは当てずっぽうなのである。しかし、それがちゃんと、本当に効果があるのかないのか、危険性はないのか、というのを、この100年くらい真摯に追求してきたのが西洋医学なのだ。いろんな新しい治療法で、「自然の力」とかなんとか、神秘的な言葉や難しそうな言葉を並べて、それを宣伝するのは構わないけれど、ちゃんとした方法で各種の実験や臨床試験を行って有効性と安全性が確認されない限り、それは医療でも何でもなく、患者さんを危険にさらすだけの行為ではなだろうか (もちろん、症状が重篤で、薬の認可や臨床試験の結果を待っていられない、というケースはあるけれど、それはまた別の問題だ)。
僕はあるお医者さんに、「いろんな民間療法的なものが本当に効いて、患者さんのためになるのであれば、僕らは喜んでそれを使います。だけど、使わないということは、そうでないということだと理解してください」と言われたことがある。
命を預かる人の言葉は重いな、と思った。
だが、人々の、治りたい、というあたりまえの願いにつけこむ者の、なんと多いことか。その悲しむべき現実に、科学や医学は立ち向かわなければならない。
そうそう、この本の強烈にすごいところは、「プラシーボはなぜダメなのか」をズバッと言い切る点で、これだけでも読む価値があると思う。砂糖水でも、風邪が治ればいいじゃない、とか、ふと思ったりするけど、それじゃダメなのです。
バケツ?
スタバ閉店
那覇-知名
沖永良部島の知名というところで研究会があって、その前々日まで福岡だったので、那覇経由で行くことにした。鹿児島から沖永良部には JAC が飛んでいるのだけれど、福岡から鹿児島から出るのが面倒なのと、那覇からの第一航空のフライトは機体が BN-2 Islander だ。
福岡の学会を夕方で切り上げて、那覇には夜着いた。とりあえず洗濯。
ホテルの乾燥機で空手の道着を乾かしちゃいけないらしい。琉球空手をやりにくる外国の人が多いのかしら?
翌朝は風が強くて心配だったけれど、時間に空港へ。
まずは航空会社のカウンターで荷物を預ける。預け入れ荷物と、持ち込み手荷物+本人の重さを量られる。これで席を決めるのかな。
まだ集合時間までは時間があったので、となりの食堂でソーキそば。
意外とさっぱりで、おいしゅうございました。集合時間になると、ストラップ付きのすてきな搭乗券が配られる。回収されちゃうんだけどね。
座席が 2A ということはつまり、操縦席のすぐ後ろです。ひゃほー。
それで、駐車場の一角にとめてあるマイクロバスへ案内される。バスに乗る前に保安検査があって、バスの座席は指定席。これは、飛行機に通路がないからで、ちゃんと順番に乗らないと乗れなくなるから、逆順にバスに乗せるわけ。
バスは那覇空港の中をぐるーっと回ってエプロンへ。ILS とかのアンテナの前を通ったりして、これだけでもかなり面白かった。その間にテレビで安全設備の説明がある。機内にはモニタがないから。
飛行機のところまでは10分くらい。けっこうかかる。僕は一番前の席なので、乗るのは最後。
乗ると、機長から飛行ルートとか救命胴衣とかの説明。エンジンが冷えててなかなかかからなかった (笑)。
飛行機が小さいので、誘導路から見る大型機は大迫力!
滑走路に出て離陸の許可が下り、スロットルを前に押し込むとあっという間に浮く。なんというか、乗用車がそのまま空を飛ぶような感じで、ちょっと怖かった。
高度が低いのと、非与圧キャビンの窓は大きいのとで、景色がすごい。晴れていたら気持ちいいだろうな−。
途中でマリックスラインのフェリーを追い越し、
与論島の上を飛んで、
いよいよ沖永良部島がみえてくる。
横風がすごいので、このままの角度でアプローチします。機長のお手並み拝見。
着陸はじつに見事だった。すごい。
風の強い日でだいぶ揺れたけど、前の席はこんな感じに計器が見えるので、全然怖くないという特典が。沖永良部では一旦全員降りて、徳之島へ行く人はもう一度乗ります。
空港と知名は、ちょうど島の東の端と西の端なのだけれど、小さな島なのでバスで50分くらい。タクシーならもっと速いらしい。バスは少ないけれど、それでもけっこう走っており、急がなければ便利でした。
旅先で乗るバスは、地元の言葉が聞けたりして非常に面白い。が、沖永良部の人たちの会話は全然ききとれませんでした。僕に話しかけてくるときはみなさん、標準語なのだけれどね。
(つづく)
長崎
もう一ヶ月半も経ってしまったので、いい加減に長崎出張の顛末記を終わらせよう。
朝、ホテルのコインランドリーに洗濯物を入れる。そのまま大学に行っちゃうと洗濯物を放置(+洗濯機を占拠)することになるので、しばらくお散歩。ホテルの近くには、一本足鳥居の山王神社があるのだけれど、行ったことがなかったので、行ってみることにした。
原爆の爆風で片足をもぎ取られた鳥居は、住宅街の中にあった。
吹き飛ばされた部分は集められて、近くに置いてある。
住宅街の真ん中にこういうものがある、というのが強烈だった。東京の両国のあたりにも、街の中に空襲で焼けた鉄骨が置いてあるところがあるけれど、そういうふうにして戦争の記憶というのは、形に残っているものなのだ。
歩き回っているうちに洗濯も片付いて、大学へ。論文を仕上げて (さらっと一言で書くが、これはとても大変なのだ!)、翌日の朝は空港へ向かう。
最近駅なんかでよく見かける、くねくねの手すり、あれ、Made in Nagasaki なんですね。知らなかった。
(おわり)