12年前の春先、僕はひとりで東京から沖縄へ渡りました。沖縄へは数えるほどしか(それも旅行ではなく学会で)行ったことがなかったし、沖縄県民になるなんて思ってもみなかったのです。それが琉球大学工学部にお招きいただくことになり、翌年にはまた思いがけず結婚することになって、妻が海を越えて島にやってきました。それから、海沿いの小さな集落に引っ越して、そこで子供たちが生まれたり。そんなこと、夫婦のどちらも考えもしなかったけど、一度しかない人生、つねに冒険旅行であるべきだ、と思うのです。
それで、そろそろどこか次のところへ行くのも悪くないね、と、あちこち次の職場を探してきましたが、熊本大学に採用していただけることになったのがこの年の初め。それから研究室を片付け、自宅を片付け、荷物をコンテナに詰めて九州へ送り、最後は車をフェリーに乗せて鹿児島へ渡ります。那覇と鹿児島はフェリーでだいたい25時間、一隻のフェリーが往復すると4日おきの運航になり、マルエーフェリーとマリックスラインで各2隻がローテーションで毎日運航になっています。
年度末だったこともあり、フェリーは大変混雑していて車両航送の予約がとれるのは1日だけ。那覇港を7時に出港なので、6時には埠頭にいなければ、ということで、朝3時くらいに起きて那覇へ。那覇から乗る人数はそれほどでもなかったけれど、出航前になるとフォークリフトが慌ただしく走り回ってコンテナを積み、僕らはその合間に誘導されてそれぞれ所定の位置に車を載せます。
午前7時、船が港を離れると意外なほど速く、那覇をあとにします。旅行の人もそれなりにいるけど、僕とおなじように島を離れるのかな、という人もちらほら。船尾で泣きそうになっちゃったり、泣いていたり。船はね、いいよね。
本部、与論、徳之島、沖永良部、奄美大島、と、各駅停車で鹿児島に向かうけれど、3月の終わりなので、島の学校を離任する先生や就職する卒業生の見送りで、どこの港もいっぱい。そのたびに船上の僕らもうるうるする。みんな、愛されているなあ… その脇でわーっとフォークリフトが集まってきてコンテナを乗せたり下ろしたり、車も乗ったり降りたり。荷役は見ていて飽きなかったです。
夜、奄美大島を出ると船内の照明も落ちて、そのあとは鹿児島までノンストップ。目が覚めると左舷に開聞岳がみえて、やがて右舷に桜島。
船はその速さも、揺れ方も、世界から隔絶される感じも(最近は Wi-Fi もとんでるし、けっこう携帯電話もつながったけど)いいよね。次は妻の車をのっけて、またフェリーで渡るか。