The Language of God

「夜明け前」を読み終えたので、次の本はこれ。
ヒトゲノムプロジェクトの大物、Francis S. Collins 先生が書いた “The Language of God” という本を読んでいる。彼は科学者であると同時にクリスチャンであり、科学と信仰、という二項対立で語られがちなテーマについて、それが矛盾しないものである、ということを説いた本。
序章にこんな記述がある。

This rising cacophony of antagonistic voices leaves many sincere observers confused and disheartened. Reasonable people conclude that they are forced to choose between these two unappetizing extremes, neither of which offers much comfort. Disillusioned by the stridency of organized religion, slipping instead into various forms of antiscientific thinking, shallow spirituality, or simple apathy. Others decide to accept the value of both science and spirit, but compartmentalize these parts of their spiritual and material existence to avoid any uneasiness about apparent conflicts.

日本語にするのは面倒だな。下手な訳で申し訳ないです (英語を日本語に直す、というのはすごく久しぶりだ…)。

(科学と信仰に関する) 対立意見の不協和音の高まりは、たくさんのふつうの人々を混乱させ、また、がっかりさせてしまった。理屈のわかる人たちは、どちらも充分に納得がいくものでないと知りつつも、そのどちらかを選択しなければならないと気づいている。彼らは既存のかっちりした宗教を捨てて、さまざまな形の非科学的な考えや、浅薄なスピリチュアリティ、あるいはただの無神論へと移っていった。あるいは他の人は両方の価値を受け入れつつも、これらをそれぞれ精神と物質の問題として区別し、そこにある明確な矛盾を避けようとしている。

アメリカでは創造論を語る人たちの一部が行き過ぎてしまった (と、僕は思っているが、これについての意見はさまざまだと思う) おかげで、進化論と創造論、という対立が、科学と宗教、あるいは科学と聖書の対立のように語られてしまっている面があるのだけれど、進化論を受け入れることと、初めに神天地を造り給いし、という聖書の言葉を信じることは矛盾しない、と主張するのがこの本であり、そしてその主張は決して間違いではないと思う。
僕自身も、一応なんとなく生命科学をやっている (本職はやっぱり計算機科学なんですが) 研究者であり、神学にも興味を持つクリスチャンでもあり、でも、そこにはなんの矛盾もない、むしろ、キリスト教の神様というのはきわめて scientific な存在である、と思う。この著者がいうところの、「神様の言葉」であるゲノムを読み解く、とか、あるいはそれから構成される細胞のしくみの数理モデルを解き明かす、というのは、僕らが「どうやって」生きているのかを知る、その最前線であり、ものすごくエキサイティングな仕事だ。科学は「なぜ」生きているのか、という問いには答えてくれないけれど、”How” と “Why” の間をつなぐのは、人それぞれの重要な仕事であると思う。
一方でこれは、日本の心ある科学者の多くが憂慮しているニセ科学の問題と深いつながりがあるのではないか、と思う。この国には宗教というものがない、というのがまた問題をややこしくしていて、ニセ科学というのはある意味で、科学の顔をしてやってくる新興宗教なのではないか、と思う。つまり、宗教っぽいものと科学っぽいものを、うまく調和させて見せてくるところに、その気持ち悪さと、拡がりやすさがあるわけです。みんなもうちょっと理科を勉強していれば、こんなことにはならないと思うんだが。
ま、例によって、読み終わるまでにまた2ヶ月くらいかかると思うので、またちょこちょこ書こうと思います。

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