32R と 80 Supra

帰りの三鷹通りを走っていたら、32 GT-R と 80 スープラに続けて追い抜かれた。
32R はボンネットがカーボンで、吸気口がどーん、とあいており、かなりの気合い。
かっちょえー。
燃費悪いけどね…
しかし、まあ、俺はチャリですが。

共にむつみし幾年は

何年か前に、九州の某大学の教員公募の面接を受けた帰りのこと。
福岡発羽田行きの機内で同席した、九州大学の先生とふとしたきっかけでお話することになり (777 に搭載された P&W のエンジンに問題が見つかった頃で、その先生はエンジンを気にしておられてたのだけれど、その全日空機は GE だった)、「母校の講壇に立つのは、特別なことですよ」というお言葉をいただいた。その時は、まさか自分が母校にしばらく残ることになる、とは思わなかったのだけれど。
結局のところ、僕はその教員公募には落ちて東京に残ることになり、そして不思議な縁で、母校に2年半、ポスドクとして残ることになった。自分の卒業した学科ではなかったけれど、中学以来の友人がはやくも講師になっていたり、知り合いの先生がたくさんいたり、研究室の先輩が先生として戻ってきたり、とても楽しい環境で、原則として講壇に立つ立場ではなかったのだが時折学生実験で教えることもあり、研究面でも貴重な経験をたくさんさせていただいた2年半だった、と、思う。
そして突然母校を去ることになり、今日は新しい職場で早くも、最初の卒論発表。
もっといろいろ教えられることがあったな、と反省することしきり。だけど、まあ、僕も彼らも精一杯やった、かな? 社会に出ても、きっといい仕事ができると思う。
打ち上げは一部、朝まで続くようで (笑)、
僕は去り際に、何十年経っても大学に遊びに来いよ、と云った。
残念ながら、僕はいないかもしれないけど、でも、母校に誇りを持つ、というのはとても大切で、特別なことなんじゃないだろうか。
慶應義塾には塾歌 (校歌みたいなものだ) があるけれど、それはフォーマルな席でしか歌ってはいけないので、仲間内のお祝いで歌う「慶應讃歌」という歌がある。僕は、どちらも大好きだ。塾歌はいつも背筋が伸びるが、讃歌は、四年秋の野球部優勝の時以来、どうしても泣ける。卒業生でも知らない人があるかもしれないので、ちょっと書いておくと、こんな歌詞だ。
 共にむつみし幾年は 心に永くとどまらん
 月去り星は移るとも 夢に忘れじその名こそ
 慶應 慶應 慶應義塾 永遠に讃えん我が母校
私学っていいよな、と思う。
僕は、卒業生達にいつかそう思ってもらえるような仕事が、できるだろうか。

年賀状

もう2月ですが、やっと本気で書き始めました (笑)。
なんか二重に送ったりしてそうな気もするのですが、正月は忙しすぎてまったく記憶がないので、お許しください…