中央構造線サイクリング大会

行ってきた!
信州高遠から、大鹿村で一泊して上村までの 90km を走る予定、だったが路肩崩落で高遠から大鹿と、翌日は大鹿から上村へ行く峠を往復して大鹿一周、に変更。
先に感想をまとめると、
– 予想していたより圧倒的に県外からの参加者が少ない。東京の人は10人もいないかも。サイスポとかに広告出てるのにね
– 車種制限がないのでママチャリもいたりして (笑)、殺伐としていないところが非常にいい。速い人じゃなくても絶対に楽しめる
– 周回路じゃないのに、地元の人がけっこう沿道で応援してくれて嬉しい
– しかし、当然ロードの気合い入った連中もきてるわけで、先頭集団はアツかった
– とにかく絶景。初日の峠の下りは本当に感動した!!
そんな感じ。めちゃめちゃ景色がいいので、とにかくおすすめ。年々人数が減っているらしく、「来年はないかも」と毎年ささやかれているそうだが、来年は俺が東京で宣伝しまくることにしよう。みんな行こうぜ!!
[ Day 0: 東京 – 飯島 ]
寝坊して昼過ぎに家を出る。むこうで練習する時間がないといけない、ということはもう日没まで時間がないので八王子から「あずさ」に乗ることにした。
荷物は2段ロケット構成。飯島のいつものホテルをベースキャンプとして、そこから持ち出す荷物は最低限にすることにした。
京王八王子で京王線を降りて、JR の八王子駅へ。通り魔事件で書店の店員さんが亡くなった京王八王子駅ビルには献花台。心が痛む。
八王子から一路岡谷へ。特急は速い、速い。すごいね!
旅には各駅停車がいいけれど、帰省には特急や新幹線に乗りたくなる気持ちがわかる。故郷遙かなり。
岡谷駅 0 番線から飯田線天竜峡行き。八王子でみかけた、輪行袋を持った人が乗っていたので、話しかけてみたら東工大の大学院の学生さんで、松川にいらっしゃる同級生の方と参加するとのこと。自転車トークしながら僕は飯島へ、彼はその先の伊那大島へ。
いつもの宿にチェックインして、153号線田切交差点から天竜川へ下り、県道18号で日曽利へ抜けて飯島駅、広域農道まで上がって与田切公園、千人塚まで上がって飯島駅から宿に戻る、いつもの練習コース。でもこれじゃちょっと練習不足だな、と思ったので、飯島駅から日曽利橋までもう一往復した。
お陣屋行燈市の準備でお気に入りの「飯島食堂」が閉まっており、「天龍軒」へ。ここも好きだ。お祭りで忙しいのか、メニューが臨時のそれに変わっており、さくら丼を頼む。宿に戻り、温泉に浸かって、早めに休む。
[ Day 1: 飯島- 高遠 – 大鹿 ]
飯島駅で自転車を解体して、8時40分すぎの電車に乗ると、輪行袋をもった人たちに出会う。飯田のほうからいらっしゃったそうで、ご一緒させていただくことに。うしろの車両には昨日の方がいらっしゃったのだが、お休みのご様子。
沢渡で降りて、3人で自転車を組み立てる。ひとり空気が抜けているというアクシデントがあり、僕のミニフロアポンプが役に立った。こういうときちゃんとゲージがついていて、120psi くらい入るポンプは重要だね。荷物になるけど、持ってきてよかった。
すぐに天竜川をわたるルート。僕はわからないので、後ろにつかせてもらう。基本的に209号線なのだが、急勾配を避けて三峰川沿いのサイクリング道路を上がり、最後は152号を北上して高遠城趾へ。いい道だった。ありがとうございます。
受付でゼッケンをもらい、荷札にサインして荷物を輸送車に預けて、開会式。
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伊那市長の挨拶と、
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沿道の村々に宛てた信書を受け取る飛脚役の任命。この信書には、立会人の署名欄があり、チェックポイントに飛脚の方と同じくらいのタイミングに到着すると署名させていただけたりする。僕は二つ目のポイントで、立会人にさせていただいて、一緒に写真もとっていただいた。なんか、のんびりしていていいね。
一気に道路に出ると混乱するので、10ごとくらいに区切ってスタート。で、スタートするといきなり激坂なのだが、予想以上に集団の動きが遅い。こりゃたまらんぞ、と一人飛び出し、前の集団を一気に二つ三つ抜き去る。それもこれも、スタートでのんびりしていて最後のほうだったからなのですが。
途中で子供たちが手を振ってくれたりなんかして、でも、そんなことされたらお兄さんアタックするしかないじゃないですか。ガンガン飛ばします。
美和湖の脇を抜けて、最初の 10km ちょっとは平坦。照りつける日差しが熱い。
チェックポイントで水のサービスがあるが、各自のボトルに入れるほどは用意されていないので、上りに掛かる手前のチェックポイントのあたりで自動販売機へ。一緒に飲み物を買いこんだ人と仲良くなった。飯田のチームの方。その先すぐのところに、水が沸いているところがあり、水を汲みにきていた方に勧められて一杯いただいた。
そして分杭峠。かなりの勾配で、一度足を付いちゃいました。てへ。でも、その先にすぐ休憩所があったなんて…
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沢の水をポンプで汲んでシャワーにするというすばらしいサービスつき。この休憩所でだいぶだらだらしてしまったが、頂上まではわりと楽勝で、付いてみたら 25 番目だった。峠のてっぺんでお昼。あとはほとんど下りで、大きな上りはないので気が楽。下りは、背中のポケットに入れたデジカメをくるんでいたビニール袋をジャージのお腹に入れて、冷やさないように気をつける。食後すぐだしね。
下り区間の途中には、去年研究室の合宿できたときに崩落していた場所があるのだが、みごとに修復されていた。崩落箇所の法面と、
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去年通った迂回路の入り口。
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大鹿までは木漏れ日の中を、一気に 500m くらいの標高差を駆け下りる、とても気持ちのいいコース。村の中心部に入ると道路幅もかなり広がり、一人で下りを飛ばしていると欧州のレースみたいで非常にいい感じだった。下りの道幅が広いところで何人か抜く (写真は、宿に行く途中で川の反対側から撮ったもの。まだ走っている人がいる)。
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コースは、役場の女の子たちの黄色い歓声(笑)に見送られて、一度ゴール前を通過する。
最後は平坦、と思っていたのに、最終チェックポイントのあとにものすごい激坂があり、一同閉口。「ひどいよねこれー!」と口々にいいながら必死に上がる。でも、ゴールから見ていると、その丘を駆け下りてゴールに向かってくる人たちが本当にカッコいいんだ。
宿は山村民泊の「あたらしや」さん。看板を見落として何度も道に迷い、林道を制覇してしまったりした。でも、景色がよかったから OK.
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この写真をとったあたりで、宿のご主人は熊に襲われそうになったそうだけれど。
携帯電話のおかげで宿に連絡がとれて、無事にたどり着いた。
宿はサイクリング大会に参加の方がもうひとり同宿で、宿のご夫婦といろいろな話をした。「新しい道路なんか作っても、立ち退きになった人が村を出て行っちゃうだけだから、いまある道路をしっかり維持してくれれば私たちはそれでいいのよ」というおばちゃんの言葉が印象的だった。そうね、ここに高速道路は要らないね。そのほか、山村留学にくる子供たちの話、熊や猿の話、最近は気温が上がって大鹿でもリンゴが作れたり、市田あたりの柿やなんかがうまくつくれなくなった話、などなど。
話をしていたら、ふらっと現れた人が「釣りにきたけど帰れなくなっちゃったからふたり泊めてくれんか」とのこと。仲間が増えるのは大歓迎。そして夜は更ける。僕ら自転車野郎どもは先に寝ちゃいましたけれど。
高遠から: 41.30km @ 25.0km/h (1:39:06)
最高時速 63.4km/h, 積算距離 5214.5km
[ Day 2: 大鹿 – 大鹿 – 飯島 ]
のんびりしていたら受け付け終了ぎりぎり。宿は昨日のコースをだいぶ戻ったところだったので、スタート地点までは下り。ガンガン飛ばす。
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大鹿村長の挨拶で開会式が始まる。村の歴史とか、そういう話を長くもなく短くもなく。いい感じのスピーチでした。
コースはいきなり地蔵峠への上りで、でも最初は緩いので、例のごとく最後尾近くからスタートして、一気に追い上げる。気がついたら先頭から5, 6人目くらいまできちゃって、「このままいくと坂の途中で脱落するしかないですよねー」と、近くの人とふたりでちょっとペースを落として、雑談。駒ヶ根からいらっしゃったそうで、やっぱり県外の人は少ないんだなー、と思う。坂がきつくなってからガンガンふるい落とす方針で共同戦線。山頂手前 3km の給水所までがかなりきつかったが、なんとかいいペースで、給水所で先頭と一緒になった。そこから山頂のチェックポイントまではわりと楽勝。山頂到着は10番目か11番目くらい。
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しかし、ここは峠のてっぺんじゃない! ということで、他の方を誘って3人でてっぺんを目指す。
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チェックポイントからはほんのちょっとだったのだけれど、写真を撮ったりして遊んでいたら、かなり多くの人が下っていってしまった模様 (笑)。でも、懲りずに看板の前で写真を撮ってから下る。
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大鹿村までズバァーっと下ったら、こんどはとんでもない上りで、途中昼食を挟んで、
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こんなところ。はるか下に見える橋が、村の中心あたりなわけだが、ここまで一気に登ってくるんだからものすごい。でも、絶景。
下りは道が狭くて、急で、カーブもきつくて、かなり怖かった。
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で、無事にゴールして、東工大の方とそのご友人と3人で小渋ダムの脇を一気に下って、県道18号に出たところで別れた。県道18号は、中川村の中心に抜けるまでが延々と上りで、地蔵峠を戦った後ではかなりしんどかったが、なんとか切り抜けて、飯島町に入る。日曽利の福徳寺の看板が見えたときは、本当にうれしかった。生きて帰ってきた…
日曽利橋を渡って、飯島駅までの長い上り。途中でとうとう、水がなくなったが、もうゴール目前なので頑張ることにする。踏切を渡って、「コスモ21」で洗剤を買って、宿に戻る。お風呂に浸かって、コインランドリーに行って洗濯して、部屋でお茶を飲みながら夕立をやりすごして、夕食は飯島食堂も天龍軒もお休みだったので、駅前の「いろは寿司」。大将は口数は少ないけれど、いい人だった。お寿司を頂いているときに、母校の甲子園出場を知る。お祭りは僕が戻ってきたときにはもう終わっていて、残念。
夜はもう一度お風呂をいただいて、早めに寝た。
大鹿まで: 39.43km @ 21.8km/h (1:48:28)
最高時速 52.9km/h, 積算距離 5290.1km
[ Day 3: 飯島 – 東京 ]
積算距離 5302.4km
今月は珍しく 500km 以上走った。いいことだ!

「中央構造線サイクリング大会」への4件のフィードバック

  1. こんにちは、初めまして。
    中央構造線・・・とロムしていまして辿り着きました。
    第18回参加お疲れ様でした。
    画像を見るかぎり、会場で何回となくお会いしたと思います。
    当方、黒の「エミネンザ」に乗っていた者です。
    青のバーテープを巻いていて、確か上りのゴールでお会いしたと思いますが・・・
    地元の方もお話をしていましたが、この大会もあと2回、第20回で辞めてしまうととの事です。
    当方、過去11回程参加していますが、2日間連続、大会の内容、地元の人達の声援とどれを取っても良い大会だと思います。
    上りはキツイですが、それは日頃の練習の結果と思っています。
    参加者も老若男女、小学生の子まで頑張ってあの「坂」を上っているのですから。
    今まで参加していまして、色んな事が大会で有りましたが、今となっては良い思い出です。
    あと2回、何とか都合を付けて参加したいと思います。
    来年、会場でお会いしましょう。

  2. 初めまして。
    中央構造線サイクリング大会を検索していたらこちらに辿り着きました。
    当方、黒の「エミネンザ」に乗っていた者です。
    ハンドルには青のバーテープを巻いています。
    途中のスタンプポイントで何回か言葉を交わしたかと思います。
    大会参加、お疲れ様でした。
    今年も良いお天気に恵まれて、良い思い出が出来ました。
    過去10回程参加しましたが、雨に降られたのは今回が初めてです。
    去年、行けなかった2日目の南信濃村にも行けたし、途中必ず寄るしらびそ峠も行けたし、良かったです。
    しらびそ峠には行かれましたか?
    何年か前は係員に「行きます。」と伝えれば良かったのですが、何時からかゼッケンを置いて行く様になりました。
    それに、大会のスタンプを押すチェックポイントも減りましたね。
    いかに参加者が少なく、また、ボランティアの方も少ないか判ります。
    残念ですがこの大会もあと「2回」で終わってしまうのです。
    参加人数の減少、飯田市があまり積極的でないと聞きました。
    あと2回、参加しましょう!

  3. コメントありがとうございます。
    覚えてますよー。
    あと2回という話、僕も伺いました。
    例年よりもアナウンスが遅れたのか、今年は雑誌に広告がなかなか出ず、
    あー、これじゃ人集まらないよなあ、と思いました。
    でも、終わったら自分たちで勝手にやればいいじゃない (笑) とか、
    いろいろ考えたりしています。
    しらびそは、いつか行きたいなー、と思いつつ、まだいけていません。
    (13:30 に平岡を出る電車に乗らないと、家にたどり着けないので…)
    そのうち、大会とは関係なく行ってみたいです。
    ではではー

  4. あたらしやで同宿したものです。
    ダホンでのんびり走ってゴール後、宿への途中でパンクして遅くなったのを心配していただき迎えに来てくださったのでしたね。その節はお世話になりました。元気な走りやさんだったのですね。私はダム工事のヘルメットのお兄さんたちとしゃべくりながらやっとこやっとこ走っていたので走行中にお目にかかることはありませんでしたが。
    2日目は、走るのやめて地元の知り合いの家にあがりこんで昼食をご馳走になりそのまま伊那大島まで走って帰宅しました。
    ヤビツ峠も季節のよい時は鳥の声をききながら走ることがあります。いつか追い越されているのかもしれませんね。
    仙山線は、やはり秋保温泉で会があったおり山形、秋保間をサイクリングした帰りに利用しました。トンネル以外は素敵な山道でした。
    構造線サイクリングは、20回で終わりの予定なんですね。去年は自分が怪我をしていていけなかったので、今年はと思って検索していて記事を見つけなつかしく、お礼ももうしあげたく書き込みました。
    その節はお世話になりありがとうございました。

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