写真ネタがいくつか続いたので、
ついでに最近思ったことを書いておこうと思う。
内戦中のカンボジアで亡くなったカメラマンの一ノ瀬泰造さんを描いた、浅野忠信主演の映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」に、こんな台詞がある。
「命懸けで撮った写真が、ネガごと切り取られて、俺の写真じゃなくなる」
彼はフリーランスで写真を撮っており、UPI (United Press International) が扱った彼の写真がワシントンポストの一面に載った日のワンシーン。フリーランスだから、ワシントンポストに写真が載っても自分の名前が載るわけではなくて、”Photo by UPI” みたいに書かれるだけだ。
命懸けではないし、ヘタクソだが、僕も数え切れない程のフィルムを回してきた。
時にはモーター・ドライブを使うこともあったが、たいていは自分の指でフィルムを巻き上げ、自分の意志で露出を決め、ピントを合わせて、そしてシャッターを切ってきた。数え切れない程のコマの、一枚一枚。
フィルムを巻き上げることや、ピントを合わせることは少なくとも僕にとっては、シャッターを切るまでのプロセスに含まれる当然の段階であって、面倒だと思ったことはないし、それがなかったら何かがうまくいかない気がする。
オートフォーカスとか、そういう、カメラが勝手に何かをする仕掛けは、集中力を削がれる感じで、どうも落ち着かない。だって、自分の意志と違う何かが、自分と被写体の間に介在しているわけだから。シャッターを切るのは自分かもしれないけど、それは「自分の写真」じゃない。
デジタルにしないんですか、とよく聞かれる。
だから、はっきり言っておこう。
俺がオートフォーカスがついたり、
デジタルなカメラをメインにするときは、
表現の手段としての写真を、辞めるときです。