Cyclists can Fly

まあ、えらい忙しいわけですが、たまには自転車に乗れる時間もあったりして、やっぱチャリはええのう。 前に進む意志だけ残して、他のあらゆるものを吹き飛ばして、ひたすら漕ぎまくってると、空も飛べそうな気がする。

まあ、えらい忙しいわけですが、
たまには自転車に乗れる時間もあったりして、
やっぱチャリはええのう。
前に進む意志だけ残して、
他のあらゆるものを吹き飛ばして、
ひたすら漕ぎまくってると、空も飛べそうな気がする。
峠いきたい…

だめだよもうオレ

火曜は発表だというのに、ずっと研究でつかってたデータが実は壊れていて、再計算をするはめに。 なんかもう、いろいろなことが重なりすぎて、とにかく泣きそうですが、ひとつひとつがんばります。

火曜は発表だというのに、
ずっと研究でつかってたデータが実は壊れていて、
再計算をするはめに。
なんかもう、いろいろなことが重なりすぎて、
とにかく泣きそうですが、
ひとつひとつがんばります。

openpbs その後

というわけで、OpenPBS/torque + maui を導入したのだが、計算ノードのどれかが reboot したりすると、走っているジョブが全部 restart する、という困った状態で悩んでいた。
で、結論からいうと、diskless (NFSroot) で /var まで共有してたのが悪かった。/var を共有するなんて、かなり恐ろしいことなのだけれど、いままでなんとなく動いてたのでそのままにしてたわけだが、やっぱりダメでした。はい。
ほんとは正式な対応方法があるんだろうけれど、pbs_mom を起動する前に個別の /var を NFS で mount するようにして、とりあえずちゃんと動くようになりました。めでたし。
いやー、ちゃんと動くとこれ、ほんと便利です。

pbs おぼえがき

/var/spool/torque/spool は、torque を使うユーザが read/write できないといけない。

/var/spool/torque/spool は、torque を使うユーザが read/write できないといけない。
じゃないと、ジョブが終了したときに stdout/stderr を保存したファイルをコピーできなくて、job status が E になります。

maui on FreeBSD

GNU の sed が必要。 ports の japanese/sed でいいや…

GNU の sed が必要。ports の japanese/sed でいいや… (あほですな)
./configure –prefix=/usr/local –with-pbs=/usr/local –with-spooldir=/var/spool/maui
vi Makefile:
– OPSYS と OS を FREEBSD に
– PBSLIB を `pbs-config –libs` に
– PBSDEF に -D__FREEBSD を追加
デフォルトのスケジューラは使っちゃいけないらしい。
こっちにしたら超快適。いえーい。

openpbs

計算ノードで pbs_mom を起動すると SSH で入れなくなっちゃうよー。… しかし、NFS は動いてるみたいで、ちゃんと log のファイルなんかは吐いている。

朝3時くらいまで OpenPBS/torque をいじってた。
計算ノードで pbs_mom を起動すると SSH で入れなくなっちゃうよー。
rup とかにも反応しないから、ネットワーク関係が全体的に駄目になってる感じ。
しかし、NFS は動いてるみたいで、ちゃんと log のファイルなんかは吐いている。
謎。
うむむむむむむむむ。
とりあえず機器室いって reboot してくるかー。
で、原因がわかったのだが、つまり、NFS の lock が、FreeBSD 6.1 では壊れちゃってるようで、rpc.lockd を使わないようにしたらちゃんと動くようになった。しかし、これだと pbs_mom がロックファイルを flock() しようとして失敗するので、そこをコメントアウトしてコンパイルする必要がある。

フィルムと紙

Yearbook の部室にいったときに、現役のひとたちとこんな話をした。… パソコンばっかりいじってちゃ、見えない世界もあるってことさ。

Yearbook の部室にいったときに、現役のひとたちとこんな話をした。
フィルムとか紙の印刷物でなければできない密度感、というものがある、と。
デジタルもいいけどさ。パソコンばっかりいじってちゃ、
見えない世界もあるってことさ。

SFC

湘南藤沢キャンパスの、看護医療学部のほうの大学院 (健康マネジメント研究科?)… 医療情報なんとか、みたいな系統講義で、リレーショナルデータベースのお話をしてきた。

湘南藤沢キャンパスの、看護医療学部のほうの大学院 (健康マネジメント研究科?) に呼ばれて講義してきた。
医療情報なんとか、みたいな系統講義で、リレーショナルデータベースのお話をしてきた。僕はべつにデータベースの専門家ではないし、データを整理したりするのに便利なのでときどき SQL を書いたりすることがある、という程度なのだけれど。で、リレーションの正規化とか、それを行わない場合に発生する更新異常だとかの話をしてきた。
看護医療学部ができてから SFC に行ったことがなかったわけではないのだけれど、看護医療学部のほうには用事がなかったので行ったことがなくて、ふつうにバスに乗って、SFC 本館前まで行ってしまった。が、看護医療は正門をはさんで反対側にあることに気づく。がーん。時間ないし! ま、結局間に合ったが。昔は森だった、と思う丘の上に立っており、いい感じの建物だ。
学部の学生は、もちろん若い人が多いみたいな雰囲気だが、大学院は医療従事者が多いようで、5人きていた受講生のほとんどは僕より年上な感じ。けっこう難しい話をしてしまったのだけれど、わりとみんなマメにメモをとっており、けっこう質問も出た。少人数っていいなー、と思う。
帰りに、クラブハウス棟に寄ってみたら Yearbook の部室のあかりがついていたので寄ってみた。昔より片付いてたけど、相変わらずだ。
みんなλ11 にいますよー、といわれたので、そっちに行ってみた。僕らは部室で作業していた時代のメンバーだけど、この部屋なつかしすぎるぜ!ちょうど年末にむけてバリバリ編集しているところで、4年生なんかといろいろ話をした。個人撮影にくる人が減っていたりとか、それにともなって売れる数が減っていたりとか、けっこう大変みたいだ。
なんか、昔の Yearbook みてたら、ぐっとくるものがあって、ちょっと泣きそうになったのは秘密。
λ11 を出て、すっかり日の暮れたキャンパスを歩いてみた。
ここで写真撮ってたのはもう10年近く前なのかー、と思う。
こう、ずっと大学にいて、結局就職までしちゃったので、
理工学部のキャンパスにいてもあんまり昔のこととか考えないわけだけれど、うわー、懐かしいぜ。
みんな元気か?