久しぶりに長崎を歩いてきた。
長崎にはなぜか、しょっちゅう行っているのだけれど、いつもけっこういそがしくて、全然街を歩かなかった。
いちばん歩いたのは1995年の夏で、はじめて長崎を訪れたときだ。駅前の文明堂の脇を入ったところの旅に泊まって、今年で終わってしまった、さだまさしの「夏・長崎から」に行ったり、被曝50周年を迎えた8月9日の平和公園に行ったりした。稲佐山の、さだまさしのコンサート会場から見た夕景はいまでも憶えている。海の向こうに夕陽が沈んでゆき、海に浮かぶ島々やたくさんの船に灯りがともる。とてもきれいだった。長崎駅はまだ自動改札でなくて、朝一番の特急「かもめ」で長崎についた僕は、行き止まりのホームの改札口を抜けて、街へ出た。港と、路面電車と、稲佐山から見下ろす夜景、そして、街のあちこちに残る原子爆弾の記憶。
それから幾度か長崎を訪れた。台風の接近する中、熊本から海をわたって島原から自転車で長崎を目指し、日見トンネルを抜けて長崎市街にたどり着いたりしたこともある。長崎から寝台特急「あかつき」の座席車で九州をあとにするのがお決まりのパターンであった僕にとって、長崎はいつも九州の終着駅だった。でも、いつも時間がなくて、自転車を分解してあわただしく夜汽車に乗るのだった。
長崎駅はいつしかきれいに改装され、自動改札になったけれど、街の雰囲気は変わらない。
最近は飛行機。空港からのバスが出島道路をぬけると新地中華街。
バスをおりて、ちゃんぽん食べて、それからお仕事。そういうのもいいよね。
でも、飛行機で旅行するのはなんだかあわただしくて、つまらないなー、と思う。
飛行機に乗ること自体は楽しくて、好きなんだけどね。
ながさき
長崎にはなぜか、しょっちゅう行っているのだけれど、いつもけっこういそがしくて、全然街を歩かなかった。 いちばん歩いたのは1995年の夏で、はじめて長崎を訪れたときだ。