ちょっと思ったこと。
科学(として検証・確立されたもの)は思想でも宗教でもなく、その範疇に収まるものは、人の思念とかそういった類のものには左右されない現象である。例を挙げれば数学や古典力学であり、ニュートン力学やマクスウェルの電磁気学なんかが最たる例である。もしこれが間違っているのであれば、ロケットなんか飛ぶわけがないし、発電所から家庭に電力はやってこなくて、テレビ・ラジオはもちろん携帯電話も使えない。
このへんのことをなんだかねじ曲げて、よくわかってない人にそれっぽい説明をして欺す、というのはよくある話で、つまりマイナスイオンとか、ゲルマニウム温浴とかの話がそれだ。まあ、マイナスイオンとかゲルマニウム温浴なんかは、ずいぶん金取るなー、とは思うものの、それで健康になれる気がするならまあそれでいいわけですが。体暖めるのはいいことだしね。
しかし、行き過ぎるとよくないわけですよ。たとえば波動ほげほげで、氷の結晶がどうのこうのというアレですが、感謝の気持ちを忘れずに、というレベルではすまされないところまで話が進んじゃってるので、そりゃどうかと思うわけです。そういえば電車のなかで、波動ほげほげの本を読んでる人って、けっこういるよな… なんかこう、科学的にきっちり検証が済んでいて、単純明快な話であるところをなんだか難しい理屈にすりかえて、わけのわからない世界に引きずり込もうとしている感じがして、すげえ怖いのです。いまのところ、すり替えの目的は具体的にいうと金儲けですが、それが民衆の扇動みたいになったら恐ろしいよな。旧ソ連で遺伝学者が追放されたアレみたいになってしまったりとか、魔女狩りみたいなことに応用されないとも限らないわけで。
一方、「なんとか論(たとえば進化論とか、微妙なところではビッグバン理論とか)」は、検証されたものではなく、いわば仮説であるとか、科学「的」な思想、である。僕は bioinformatics なんかをやっていて、ゲノムなんか毎日眺めているわけだけれど、自分の先祖がサルだったなんて、そんなことは全然信じてない。これは、科学者であるなしに関わらず、信じるも信じないも自由で、でもやっぱり、社会的な影響ってあるよなー、と思う。進化論はつまり、ちょっと前の時代までは優生学みたいなものと結びついていたわけで、そう考えると結構怖い。なんか、みんな信じてるみたいですが、先祖がサルだったって、一見筋道だった理論体系のようで、相当キモチワルイ話ですよ?
つまり何がいいたいかというと、科学にははっきりとわかっていることとそうでないことがあって、はっきりわかっていることに関しては思想信条抜きなわけで、それなりにみんながちゃんと興味をもったり、ちゃんと教育しないと、世界が危ない方向にいっちゃいますよー、と、まあそういうことだ。
教育は大事です。
ニセ科学その後
ちょっと思ったこと。 科学(として検証・確立されたもの)は思想でも宗教でもなく、その範疇に収まるものは、人の思念とかそういった類のものには左右されない現象である。