レポートとか採点してると、日本語がめちゃくちゃだったりとか、漢字と仮名の使い分けが非常に美しくなかったり。どうも、こう、学校教育の課程において、日本語を直される機会というのはないらしいのだ。本を読まない学生が多いのか何だか知らんが、文章表現能力が乏しすぎる (そのくせ、小説とか書いてみたりするらしいわけだが…)。
日本語でも英語でもなんでもいいですが、ひとつくらいまともに読み書きできるような教育システムを作らないとこの国は駄目ですよ。
「日本語教育とか」への3件のフィードバック
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どうも、日本語が不自由な日本人代表です・・・。
よく学校で、読書感想文とか書かされましたけど、
あれを書いていて文章がうまくなると感じたことはないですね。(むしろ、作文を書く機会が少なかった。)
実際、小学校の先生によって作文を書かせる機会が多い、少ないってあると思います。
(確か、規定の時間数もないはずですし)
「個性的」教育とか言われていますが、どうなのでしょう?
私には甚だ疑問です。
そういえば、初めてのコメントでした・・・。
私が誰がお分かりいただけると幸いでございます。
最近家具を転売したい旨のメールを出したところ、次のようなメールをもらいました。
「もしお時間があれば、今週の土・日のどちらか伺うことはできますか?
おそらく僕の方は、8月に引っ越すと思うのでその際に取りに伺うことができます。」
これを読んだだけだと、一体今週土日に来たいのか、8月に来たいのかわかりませんよね?
相手はどうやら、今週土日は見分だけで、8月に実際に取りに来たいということみたいです。
他にも敬語おかしいのが沢山あるし。
日本語使えない日本人が本当に海外には多い。
日本語を忘れたのか、それとも・・・なのかわからないけど。
読書感想文とか無駄!! 無駄!!!
作文書かせるとか、本読ませるとかしないとダメなのは確かなので、
両方一度にできるっていうことで、
お手軽な手段なんだとは思うけどね。
でもそれって、ある意味教育側の手抜きじゃん。
個性的教育とかゆとり教育とか、なにいってんだかわかんないです。
目標を下げれば達成できるの?違うんじゃん?
それなら、教育者なんか要らないよ。
で、結局ツケを払わされるのが大学。
それでも払いきれないから、結局社会の負担に…
文章が書けないから理系に行くとか、数学嫌いだから文系に行くとか、
なんか、そういう風潮が昂じてこうなっちゃってるんだと思う。たぶん。
「この選択をすれば、これはやらないで済む」っていう発想をすべき問題ではないはずです。
ちなみに僕は理系だけど、数学大嫌い。でも、使わないと生きて行けないから、やってます。