代替医療

長妻厚生労働大臣、予算委員会でホメオパシーについて(も)語る? という記事を読んであまりにショックだったので、ずっと気になっていた、ホメオパシーとかそういう、いわゆる代替療法に関する本を買ってみた。
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これ。
非常に明確に書かれており、わかりやすいし、筆者らのアプローチも非常に好感が持てる。
非常に興味深いのは、いわゆる、わしらが日頃お世話になっている西洋医学が、現在のようにちゃんと二重盲検法とかをつかった臨床試験を導入して、患者の症状を改善するのにもっとも効果的な方法、というものを臨床試験をもとに科学的、統計的に追求するようになったのはつい最近の100年くらいのことである、ということ。それまでは欧米の医学だって、かなり怪しいところがあったわけで。
もうひとつは、「医学においては薬の作用機序がどうの、ということよりも、患者をリスクの少なく、かつ効果の高い方法で治すことが大事」という点に非常に共感した。薬の作用機序とかそういうのを明らかにするのは、わしらの仕事であって、お医者さんの仕事ではないのだよね。僕は、そのあたりが非常に世間に誤解されている気がしていて、こういう仕組みで細胞のここを標的にして効く薬を作りましょう、というアプローチで薬を作る、というのは、今までなされてきたことではないのだ。従来はそれがほぼ不可能で、最近は分子生物学のシンポでそれがいけるかも、という感じになってきてはいますけれども、基本的には、この物質を身体にいれたらこの病気に効くかも!というのは、乱暴な言い方をすれば、最初は当てずっぽうなのであり、いろいろな方法でターゲットを絞っていって薬になるわけです。
薬がなんで高いか、というと、新しい物質を薬として見つけて、さらに安全性やら何やらを担保するためにさまざまな実験を行う、そこに膨大な費用がかかるからなのだ。
結局のところ何がいいたいかというと、なんというか、西洋医学も漢方も、その他のさまざまな民間療法も、はじめは当てずっぽうなのである。しかし、それがちゃんと、本当に効果があるのかないのか、危険性はないのか、というのを、この100年くらい真摯に追求してきたのが西洋医学なのだ。いろんな新しい治療法で、「自然の力」とかなんとか、神秘的な言葉や難しそうな言葉を並べて、それを宣伝するのは構わないけれど、ちゃんとした方法で各種の実験や臨床試験を行って有効性と安全性が確認されない限り、それは医療でも何でもなく、患者さんを危険にさらすだけの行為ではなだろうか (もちろん、症状が重篤で、薬の認可や臨床試験の結果を待っていられない、というケースはあるけれど、それはまた別の問題だ)。
僕はあるお医者さんに、「いろんな民間療法的なものが本当に効いて、患者さんのためになるのであれば、僕らは喜んでそれを使います。だけど、使わないということは、そうでないということだと理解してください」と言われたことがある。
命を預かる人の言葉は重いな、と思った。
だが、人々の、治りたい、というあたりまえの願いにつけこむ者の、なんと多いことか。その悲しむべき現実に、科学や医学は立ち向かわなければならない。
そうそう、この本の強烈にすごいところは、「プラシーボはなぜダメなのか」をズバッと言い切る点で、これだけでも読む価値があると思う。砂糖水でも、風邪が治ればいいじゃない、とか、ふと思ったりするけど、それじゃダメなのです。

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