政権交代と医療

たまには政治の話をしよう。
マジメに政治を語るのは、たぶんこの blog がはじまって2度目くらい。
僕は東京出身だが、南信州が好きで、毎日長野日報のページをチェックしている。
それで、最近ずっと気になっているのは塩嶺病院と岡谷病院の問題だ。
塩嶺とか岡谷とか言われてもどこだかわからない、という人が多いかもしれないが、つまり、新宿駅から「あずさ」に乗って終点の松本に到着する手前、諏訪湖畔にある岡谷市と、そこから山ひとつこえた隣の塩尻あたりの地域。
信州というのは、東京の人には想像もつかないくらい広い。よく、長野県、というと、「ああ、新幹線で行けるよね」という反応をされるが、それは長野市を含めた北信地域の話であって、中央線沿線から南信地域の人にとっては、新幹線など無縁の話なのだ。なにしろ、飯田から長野までは3,4時間かかるんだし、その間に甲府あたりまで行けるわけで、新幹線の恩恵には到底あずかれない。
あと半年もしないうちに、その地域から、心臓血管外科という診療科が消える。
もし、そこへ救急搬送しなければならない患者さんが発生したら、遠くの長野市、あるいは県外へ行くしかない。
それで、大都市圏から遠い、というのは何が問題かというと、高速道路が1000円とか無料とかじゃなくて、医療だ。大都市圏でも夜間の救急搬送でたらい回し、というのが問題だが、地方ではそもそも昼間でも、重篤な症状で受け入れられる病院が存在しない、というケースが存在する。でも、それって、本当にみんなわかってくれているのかしら?
僕は、今回の日大医学部の判断はきわめて合理的だし、何も文句は言えないと思う。もちろん、先生方、いままでありがとうございました、といって見送って、それで終わり。その先生方がいなければ助からない患者さんはごめんなさい、助けられません、というのは、教科書通りの資本主義。でも、それでいいのか? と言われたら、そうだという人は少ないんじゃないだろうか。
僕の中学時代の後輩というか友人が blog で、清掃婦を見殺しにしない社会設計とか、『赤ひげ神話」と日本の頭痛という記事を書いているけれど、僕らは、「Dr. コトー診療所」みたいな、医療従事者の善意に寄りかかり過ぎたんじゃないだろうか。高速道路無料化とかいう議論をする前に、僕らは人の命に直結する、医療について語るべきじゃないのか。
税制改革で全国一律の国税と地方税を払うようになったのに、
命に関わる部分は、一律じゃない。
故郷で倒れた愛すべき人が、充分な医療を受けられずに還らぬ人となる、
そういう日は案外近くまで来てしまっているのかもしれない。

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