中央構造線サイクリング大会、もしくは僕と南信州 (その 0.1)

せっかくなので、なれそめから書くことにしよう。
たぶん今まで、ちゃんと書いたことないしね。
そんなわけで、今回は自転車成分はゼロ。おそらく次回も (笑)
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1994 年の夏、僕は初めて飯田線に乗った。たしか、7月の21日だ。
JR の時刻表を開くとそこは、なんとなくミステリーゾーンで、不思議なほどスペースが空いているのだ。というのは、端っこの豊橋-豊川だけたくさん走っていて、真ん中のあたりは1時間から3時間くらい列車の間隔が空いているから、なのだけれど。
そのときは時間の都合でちょっと乗っただけで、岡谷から伊那本郷 (飯島町) まで行って、引き返した。でも、なんとなく、ここはいいところだな、と思って、また来ることにした。青春18きっぷを片手に、次に訪れたのは、ちょうど1ヶ月後。
朝早く岡谷駅について、7時半の列車に乗る。まわりじゅう同じ制服で、ぎょっとしたが、ラッシュの時間帯でも30分に一本だから、学校に行くには、同じ列車に乗るしかないのだ。高校生がみんな降りてしまうと車内はがらんとして、そして、南アルプスと中央アルプスを両側にみながら、のんびり走る、その静けさがとても印象的だった。
天竜峡から、信州最南端の中井侍まで乗って、天龍川の美しさに息を呑み、そしてまた引き返す。車内で出会った、南アルプス縦走から下山したおじさんとの話やら何やらと、突然の夕立と、雨上がりの風景の美しさにふと降りてみた、田切駅。
田切駅のそばには当時、小松屋さんという小さな雑貨屋さんがあって、そこのご夫婦に迎えられて、南信州、という土地の温かさに触れた、そんな気がした。
ふれあいのかけらが、人生を変えてゆく、という唄があるけれど、
そんな、高校時代の思い出の1ページ。
1ページだけじゃ、到底収まらないけれど、それはまた次回。

「中央構造線サイクリング大会、もしくは僕と南信州 (その 0.1)」への1件のフィードバック

  1. 中央構造線お疲れ様でした。
    私は飯田線沿線に住んでいながら、使用するようになったのは自転車に乗るようになった、ここ数年です。
    明らかにOsanaさんのほうが詳しそうですね。
    数年前まで、飯田線を気にもしていませんでしたが、最近はなくなると困るので乗るようにしています。乗ってみると、周りは何もないけれどのんびりしていて車中のビールと相まってホットしますね。
    TOJ応援にこられていたんですね。
    私は、山岳賞先の焼き肉ブースでこれまた、まったりとビール飲みながら応援していました。もしかしたらそこでお会いしてたりして。
    また、どこかでお会いしそうですが宜しくお願いします。

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