写真展

連休前に始まった仕事は泥沼状態で全然終わらなかったが、少なくとも研究室の学生には迷惑を掛けないで済む、というところまできたので、仕事を放り出して大学の学園祭の写真展を観にいった。
僕が最后に出したのはもう何年も前だけれど、毎年写真展会場の解体作業には顔を出すようにしている。解体作業が楽しい、というのもあるけど、学園祭の最后の、人手の減った写真展の会場、というのがとても好きだ、というのが、僕を動かしている気がする。
我らがカメラクラブの部員は100人近い。技術的にはお世辞にも、みんな凄いとは云えないけれど、僕はこの写真展が好きだ。
白黒のプリントで自分の世界を表現することだったら、今でも誰にも負けない、という気概があるけれど、いつもそれをひっくり返してくれるのがカメラクラブの現役達の写真だ。写真は技術が大事だけれど、もっと大事なのは心だと思う。僕は、卒業してからほとんどフィルムを回さない大人になってしまったけれど、彼らは間違いなく桁違いの情熱を写真に注ぎ、桁違いの本数のフィルムを回している。技巧がどうのとかそんな、僕ら年寄りのコメントは、彼らの若さと情熱の前には為す術もないんだ、ということを、卒業してから知った。
カメラクラブでは毎年、部員向けに、”Opinion” という冊子を作っている。それぞれが1ページずつ、各々の写真について書いて、それをリソグラフで刷って製本した、そんな冊子だ。
片付けを手伝いながら、その余りを一部もらって、帰りの電車の車内で読んで、涙が止まらなかった。
昔後輩に言ったことがある。
僕らは生涯アマチュアなのだから、自分の撮りたいものを撮りたいように撮って、もし、それが誰か一人、伝えたい人に伝わったならば、それ以上幸せはないのだ、と。
僕ら素人にとって写真はまず第一に、だれかと記憶を共有する手段なんだと思う。
でも、そういうふうに写真を撮るには、とてもピュアな心が必要で、実はそれがとっても難しいのかもしれない。
ああ、くそ、blog を、手書きで書けたら、どんなに幸せだろうね!
俺はいつかまた慶應の教員になって、カメラクラブの顧問になるんだ。
そう思った。

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